50年のあゆみ
古代から営み続けてきた農業
日本の農業は古代から営みを続けてきました。
長い営みの中で「肥料」という考え方が生まれたのは、おそらく江戸時代でしょう。
江戸時代以前は耕す田畑を広げれば、収穫量が増えた時代でした。
しかし、江戸時代半ばころから新田開発が限界を迎え、限られた土地で収量を上げる方法を考えるようになりました。
赤い水(鉄分を含む水)を与えればたくさん収穫できる。
豪華な食事を食べている大名屋敷から出る糞尿(チッ素を多く含む)は、収量が上がる。
などということを、農民は経験的に知っていました。
明治時代に入り、販売肥料の主流は魚粉となりました。
しかし漁獲高によって供給量が変わるので、安定供給が困難でした。
そこで硫安や過りん酸などの化学肥料に期待が集まり、徐々に浸透していきました。
戦後、販売肥料の主流は化学肥料となり、化学肥料を中心とした栽培方法に変わっていきました。
50年前の農業
戦後の混乱も落ち着き、化学肥料での栽培が当たり前の時代となってから、数年が経過したところです。
長く耕し続けた田畑は、数十年の化学肥料での栽培で土壌病害を多発する土になっていました。
病気を対策する農薬が開発され、農業は化学肥料→病気→農薬という悪循環の中にありました。
高度成長期の最中、安全性よりも生産性が重視されていたのです。創業者が健康について真剣に考え、取り組んだのは、妻が多発性リウマチを患ったことにあります。
必死に治療を行いましたが、肝臓を始め内臓のほとんどを悪くし、しまいには手足が硬直して顔や胴がダルマのように腫れ
上がりました。
ワラをもすがる思いで頼った医師に、このように告げられました。
「薬は一時的に症状を抑えるもの。病気を治すのは人の生命力です」
症状のほとんどが、治療薬の副作用だったのです。
この医師の元で治療を行い、食生活の改善を行ったところ、妻の症状は大幅に改善されました。
しかし、医師にこのように言われたのです。
「農薬漬けの食べ物を食べている以上、症状が治まってもまた出てくるでしょう。
どうか、農薬を使わない農産物を世に広めてください」
「薬漬けの農業を変えなければいけない」と決意したのは、この言葉によるものです。
有機肥料と化学肥料の良さを取り入れたMリンシステム
その後、農薬をあまり使用しない自然農法を学び、研究しました。豚が土を食べて元気になるので、豚ぷん堆肥が土を良くする。化学肥料でダメージを受けた土には、堆肥を入れると回復するのではないかと考えました。
また、化学肥料のりん酸を酵素と微生物によって処理することで、効かないりん酸が効くりん酸になることを発見しました。しかし、今までの農業界には効くりん酸の経験値がありません。効くりん酸を使ってみて、次のようなことが分かりました。
「効くりん酸だけでは生産性が持続しないので、土作りも一緒にやっていかなくてはいけない」
「りん酸は与える時期と量で効き方が異なり、ただ振ればよいという単純なものではない」
そこで全国各地で土作りと効くりん酸の肥効データをとり、体系化したのです。
土作りをするバクヤーゼと、効くりん酸を作るMリンカリンによる「Mリンシステム」の誕生です。
結果的に長く営み続けた有機での農業の良さと、化学肥料の良さを組み合わせた農法となりました。
リン酸で安全農産物に
今でも、「肥料=チッ素」という考え方が主流です。
しかし、チッ素が効きすぎると植物の細胞が大きく肥大します。肥大した細胞には病気の菌や虫が入りやすく、病気多発の原因ともなります。
これは太りすぎた人の方が、病気に罹りやすくなるのと同じです。りん酸を効かせると細胞が増えて、硬く締まった健康体になります。病気の菌や虫が入りにくくなり、農薬の使用を減らすことができるのです。
ここまでくるのに50年かかった
Mリンシステムの普及は容易ではありませんでした。
農業普及所では理論に納得はするものの、民間資材であることを理由に使用を断られました。
また、Mリンシステムに賛同して普及に努める普及員が左遷されてしまうという事もあり、
なかなか普及にはつながりませんでした。
しかし、今は生産者が「良いものを作らなければいけない」と自ら考え、
「農薬と化学肥料だけで作った米は売れない不味い米だ」
「売れない米をいくら作っても仕方がない」
と、認識してもらえるようになりました。
今では慣行農法がMリンシステムに近づいてきており、農協などで使用していただく機会も多くなりました。
「ここまでくるのに、50年かかった」創業者の言葉です。
農業の未来と、ミズホと、「みんなでずーっとほほえんで」
農業は、人が生きるために必要な「食べ物を生産する」産業です。いつの時代にも必要とされ、絶対になくてはならない産業です。グローバル化が進んだ農産物市場も世界レベルとなりましたが、安価で大量生産できるものだけに需要があるのではありません。世界の中には安全性と品質の高さを求める市場が存在します。今後は、自信と誇りを持てる品質の高い農産物の価値を共有できる流通業や消費者との繋がりや連携が必要となるでしょう。
そのためには強い信念と情熱、そして覚悟を必要とします。
一生懸命な行動が人の心を動かし、仲間との出会いが生まれて繋がっていきます。
そして「産業としての農業」のプライドを持ち続け、「充実した仕事」とするためには、経験と技術の裏づけと、自らが考え試行錯誤していくバイタリティーが必要です。
弊社およびミズホ会では
創業より50年の長い間に、全国数万人の会員の皆様が実際に作物を栽培して得た「肥培管理データ」を蓄積してまいりました。
今後は多くの会員に裏付けされた情報を体系化し、提供しながら、更なる探求を続け、時代の求める新しい技術や資材の開発に努めてまいります。 食料自給率の低下が叫ばれる中、
様々な外的要因にも打ち勝つ栽培技術を確立するために、Mリンシステムも「低コスト・高品質・多収穫」を同時に達成するための改善と進化を続けてまいります。
農業の未来を見失わずに、
着実に一歩ずつ前進し、日本の農業に貢献することが、弊社の最大の使命です。