株式会社ミズホは、作物を健全に育て、美味しくて安全な農産物を作るための肥料と資材を取り扱っている会社です。
他社にはない「効くリン酸」を用いた「Mリン農法」による栽培を推進しています。
このブログでは農業技術やMリン栽培の様子、Mリン農産物、会社のアレコレ…など、最新情報を更新しています。
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農業の偉人達
スーパーへ行くと、日本各地の新米が並ぶ季節になりましたね。
いろんな銘柄のお米が並んでいて、値段も様々です。
そんな中でも、一番多いのが「コシヒカリ」
数あるお米の品種の中でも、消費者の認知度、作付面積どちらも群を抜いた存在です。
しかも、それが何十年と続いているのがスゴイ
それだけ完成された品種ということでしょうか。
実はコシヒカリには、その誕生にドラマがあります。
コシヒカリは70年前(1944年)に、新潟県の農業試験場で交配が行われました。
しかし、戦争中ということで、その後の栽培実験はお蔵入りになったそうです。
戦争が終わった後に試験が再開され、最初に交配された世代の孫の種子が福井県の農業試験場へ送られます。
そこで栽培と選抜を繰り返し、誕生したのが系統名「越南17号」です。
しかしながら、日本各地で試験栽培を行った際の評価は散々で、劣等生扱いでした
理由は、倒伏しやすく、イモチ病に弱いという特性を持っていたからです。
特に、この時代は多肥栽培が一般的だったため、これらの欠点は致命的でした。
そんな中、食味に目を付けた新潟県と千葉県だけが奨励品種に採用します。
生まれた福井県にすら見捨てられるという不遇っぷりです
そしてこの時、1956年に「コシヒカリ」と命名されます。
福井県や新潟県などの昔の地名である「越」にちなみ、「越の国に光輝く米」という願いが込められています。
ちなみに、国主導で作られた品種には「農林○○号」という名前も付けられるのですが、コシヒカリはちょうど100番目「農林100号」という記念すべき登録名も持っています
その後、栽培技術の発展や、量より質という消費者の嗜好の変化もあり、コシヒカリは日本全国へと広がります。
福井県が奨励品種として採用したのは1972年で、16年も経った後でした。
福井県でこの「コシヒカリ」という品種を生み出したのが石墨慶一郎氏。
先月に福井県坂井市を訪問した際、地元の方から銅像があると聞き、
「農業に携わるものとして、これは行かねば!」
と思い、ありがたく拝見させていただいきました。